本日、4月8日は花祭りの日である。
お釈迦様の誕生を祝う、言わば仏教のクリスマスであるが、クリスマス程の盛り上がりを見せるわけでもなくひっそりとその日は過ぎ去る。
花祭りと言えば甘茶だが、私は子どもの頃この甘茶が大好きだった。今でも甘茶はたまに飲んでいる。
私が通っていた幼稚園はお寺に併設されており、子ども達は皆、強制仏教徒だった。
そのため、お釈迦様の誕生日といえばそれはもう盛り上がったものだ。
20cm程の小さいお釈迦様の銅像を花で飾り付け、好物である甘茶をみんなで順番に頭からかけていく。
私は、頭から甘茶をかけてもらえるお釈迦様が、心底羨ましかった。
私も浴びるほどの甘茶を飲んでみたいものだ。
そう思った私は、麦茶に砂糖を混ぜて飲んでみた。
しかし、味が全然違う。甘茶の、あの口の中に残る痺れるような甘さは、どうやって出すのだろう。
私は、幼稚園の先生に甘茶の作り方を聞いてみた。
すると先生は、アマチャという樹木があり、それの葉を発酵、乾燥させてから飲むのだと教えてくれた。
それならば、アマチャの木を買ってもらおうと考え、早速父に強請った。
父はカネノナルキ同様、すぐにアマチャを買ってきてくれたので、すんなり手に入った。
アマチャを始めて見た私は、とても驚いた。それは、どう見てもアジサイだったからである。
アマチャとは、アジサイの事だったのだ。
父に、それなら元々庭にあったアジサイでも甘茶が作れるんじゃないかと聞いてみたが、それではダメだという。
アマチャという品種があるのだそうだ。
納得した私は早速葉を何枚かちぎり、祖母に飲めるようにしてくれと渡した。
幼稚園児の私には、発酵という言葉が分からなかったため、祖母に任せることにしたのだ。
1週間後、祖母が出来上がった甘茶を持ってきた。
私はワクワクしながらそれを手に取り、一口飲んだ。
…苦い。甘くない。
確かに風味は甘茶なのだが、甘くないのである。甘くない甘茶など、甘茶ではない。
きっと祖母が作り方を間違えたんじゃないかと思い、作り直して貰った。
祖母も甘くならないことを疑問に思ったらしく、また作り直した。
しかし、それもまた苦かった。
私は家で甘茶を飲むのを諦めるしか無かった。
大人になった今思えば、きっと新芽じゃなかったから甘くならなかったんじゃないかと思う。
今はパックの甘茶を購入し、飲んでいる。大人になった私は、子どもの頃の願望を叶えたのだ。
あの頃の私に、パックの甘茶があるということを教えてあげたい。
幼稚園で出されていた甘茶も、実はパックの甘茶だったと知ったのは、小学校に上がってからの話である。
fuuka