さて、このホームページでブログを始めてから実に1ヶ月が経過した。
私は、日曜日以外は毎日せっせとこのブログで「気まぐれ樹木紹介」を更新してきた訳であるが、この機会に毎日投稿から、名前の通り気まぐれ更新に変更しようと思う。
というのも、私は、何をやっても続いた試しが無いのだ。
趣味を作ろうと思い始めたレジンクラフトも、痩せようと思って始めたダイエットも、長くは続かなかった。
それで、私は何なら続けられそうかと考えた結果、樹木を探求することかなぁと思った。
実際、幼い頃から樹木図鑑を常に手に持ち、現在はスマホの検索履歴に毎日必ず何かしらの植物の名前が入っている。
それなら、継続は力なり、と言うことでとりあえず1ヶ月、毎日樹木のことを紹介してみようと決めた。
そして今日は、その1ヶ月を達成した、記念すべき日なのである。
半月ほどは順調に進めていたのだが、1週間前くらいから徐々に毎日投稿を後悔し始めた。
ネタは樹木の数だけあるので尽きないのだが、なんせ書く時間が足りない。
カネノナルキ編やアメリカガシワ編で長文を書いてしまった為、他のもこれくらいの長さにしなければ、という思いが出てしまったのだ。
これは私の悪い癖である。
そういうわけで、毎日投稿に拘らず、もっと質の高い文章をお届けするために本物の気まぐれにならせていただきたい。
ついでに、タイトルも「あるバイトの気まぐれ樹木紹介」から「あるバイトの気まぐれ植物紹介」に変えようと思う。
これから、樹木以外の植物も紹介することがあるかもしれないからだ。
樹木以外の植物にも面白い生態がたくさん見られるし、このように幅広く設定しておけば、ネタ切れ等とは無縁である。
樹木とそれ以外の植物の違いというのも、いつか番外編で書いていこうと思っている。
ここまで、番外編や続編を除き25樹種全ての樹木紹介を読んでくれた方がいれば、本当に有難いことだなぁと思う。
これからも、どうぞよろしくお願いしたい。
fuuka
家には神棚がある。
この神棚にはサカキを常にお供えしてあるのだが、サカキをスーパー等で買うと1束250円くらいする。
対にしてお供えするため、これを2束買わなければならない。つまり500円だ。
暑い時期は多くて月2回交換するため、それだけで1000円の出費になる。
なかなか痛い。
そういう訳で、庭にサカキを植えようかなぁと思っていた矢先、会社敷地内の畑の隅にひっそりサカキが植えられているのを発見した。
何故気が付かなかったのかというと、丸く刈り込まれていたからである。普通は、生垣にするもの以外ではサカキをこのように刈り込んだりはしないのだが、以前ここを管理していた誰かがそのように整えたのだろう。
私が、近くで見るまで気が付かなかったのも悔しいポイントだ。
これで神棚のサカキ問題は解決したわけである。
我が家の財布も少しは助かるはずだ。
そもそも、庭師が切り枝をスーパーで購入すること自体が間違いだというのだ。なんという事だろうか。
庭師の威厳を保てたところで、サカキの特徴を紹介していこうと思う。
サカキは、枝の先に鳥のツメのような芽がついている。
ツメのように先が尖っているため、ここに雷が落ち、その雷と共に神が降りてくると
言われたことから、サカキを神事に使うようになったそうだ。
また、サカキは初夏に白い小さな花をつける。これはふわっと甘い香りがする。
そして秋に黒い実をつけるのだが、この実は一応食べられるようだ。しかし、硬い皮は捨てた方が良いだろう。
私はサカキの実を食べたことは無いのだが、ブルーベリーのような風味がするらしい。
秋に見かけたら食べてみようと思う。
仏壇や神棚が家にある方は、サカキを植えてみてはいかがだろうか。
サカキは神の依代であるから、貴族や神宮等の位の高い家にしか植えてはいけない、と考える庭師も一部いるようだが、この令和の時代には貴族も位もない。
好きな樹木を好きな場所に植えることができる時代に生きてて良かったなぁ、と常日頃思っている。
fuuka
私の実家は造園屋であるため、庭には色々な種類の樹木が植えられていた。
ヤマモモもそのひとつで、家の勝手口のすぐ目の前にドーンと立っており、初夏になると大量に十円玉サイズの赤黒い実をつけていた。
私は子どもの頃、この実が大好きだった。
噛んだ時のジャクっとした食感と、甘酸っぱいジューシーな果汁が飛び出すのが心地よかった。少しヤニっぽい風味があるが、これが逆に爽やかな香りを際立たせている。
家に友人を何人か招き、ヤマモモ狩りをすることも度々あった。
小学生にとっては、脚立に登って木から直接採った実を食べるというのはワクワクするものだ。
この実をよく観察してみると、赤い小さなブツブツが集合してできている。
集合体恐怖症の人は鳥肌モノだと思うが、そうでは無い人が見ると非常に可愛らしいフルーツである。イチゴやレモン柄の小物をよく見かけるが、ヤマモモを柄として使ってもオシャレに仕上がりそうだ。
ちなみに、「モモ」と名がついているが、バラ科ではなく、ヤマモモ科の樹木である。
ヤマモモと似たような実をつける、イチゴノキという樹木があるが、こちらはツツジ科である。なかなか複雑だ。
公園などに行くと、ブルーベリーくらいの小さな赤い実をつけたヤマモモを見かけるかもしれない。
ヤマモモの実は、大きさが個体によって全然違うのだ。
小さなヤマモモでも味は楽しめるが、ほとんどがタネで食べるところが非常に少ない。
おまけにタネからの肉離れが悪く、かじってもほぼ果汁しか飲むことができず、果肉はタネにくっついたまま捨てる羽目になる。
ヤマモモは、大きいものが美味しいのだ。
実家にあったヤマモモの実はサイズ感でいうと大だった。
公園で見かけるものは、中か小であることがほとんどである。
特大サイズのヤマモモでは、ピンポン玉くらいの大きさになるそうだ。
これを知った時には驚いた。
1度でいいからピンポン玉サイズのヤマモモを食べてみたいものだ。
そんな思い出の詰まったヤマモモであるが、久しぶりに実家に帰るとなんだか木自体が小さくなっているように感じた。
私が大きくなったからなのか、父が強剪定をして縮めたのかは分からないが、できればこのヤマモモだけは寿命尽きるまでここに残っていて欲しいと思う。
fuuka
八代では、もうフジが開花を始めている。
まだ満開ではないが、半分程は咲いているようだ。
とはいえ、フジは2ヶ月くらいに渡って咲き続けるため、見頃は長い。気長に満開を待つのが良いだろう。
さて、フジは花を咲かせるのがなかなか難しい植物である。
放っておいても咲くという話を聞いたことがあるかも知れない。確かに放っておけば咲くが、大体の人は、夏の1番ツルが伸びる時期に切ってしまいたくなるものだ。
ここに落とし穴がある。
フジは、夏に剪定をしてはいけない。
適期は、花が終わりかけの5月下旬~6月頃と、落葉後の12月~2月だ。
6月以降になると、もう花芽が形成されているため、剪定してしまうと来年の花が咲かなくなる。夏の剪定は我慢だ。
しかし、落葉すれば膨らんできた花芽が見つけやすくなるため、それを避けて切る事ができる。
夏に伸びすぎて困ったフジは、落葉後に切ろう。
次の年に綺麗な花を咲かせるコツは、6月までの剪定の時に、花ガラを全て取り除く事だ。
まだ咲いている花であっても、取ってしまうのが良い。
これは全ての植物に言えることだが、花ガラが残っているとそれを維持するのにパワーを使ってしまい、次の花を付ける体力が減ってしまう。
終わりかけの花を取ることで、次々と新しい花を咲かせるのだ。パンジーやビオラなどは、分かりやすく花の数が増えていくのでなかなか楽しい。
フジといえば、あの大流行したアニメ、鬼滅の刃で重要な役割を果たしている。
フジの毒が鬼に効く、というものだ。
実際、フジには毒があるのだが、その他マメ科の植物には大体ある。マメ、鬼というと節分を思い出す。
大豆などの食用とされる豆にも毒はあるのだが、しっかり加熱することによってきれいさっぱり毒は抜ける。
まあ、食べてもお腹を壊したり吐いたりするくらいだとは思うが、要注意である。
ところで大里造園の従業員には、鬼が1人いる。
まだ24歳という若さであるにも関わらず、素晴らしい技術を持った青年であるが、指導が鬼のように厳しいのだ。
獅子は我が子を千尋の谷へ落とす、ということわざがあるが、まさに彼の指導方法を指す言葉である。しかし、獅子というよりは完全に鬼である。
そんな彼が、先日フジの名所へ行ってきたらしい。鬼が自ら藤襲山に飛び込んだというわけだ。
これで少しでも彼の中の鬼が逃げ出しますように…と思わずにはいられないのであった。
fuuka
八代に引っ越してきてからよく見かけるようになった樹木のひとつに、イスノキがある。
イスノキは、暖かい地方の山などに自生するようで、それなら九州でよく見かけるのも納得できる。
私の地元の山口県では、たまにしか見られなかった。
イスノキの最大の特徴は、葉に虫こぶができることである。虫こぶとは、虫の巣のようなものだ。
イスノキにはアブラムシがよくつくのだが、これが虫こぶを形成する。
アブラムシはイスノキの葉に入ると、成虫になるまでそこで過ごす。
成虫になった後はこぶを破って出ていくのだが、この時空いた穴に息を吹きかけると「ひょんっ」と笛のような音がするそうなのだ。
それで、別名が「ヒョンノキ」という。
本当に「ひょんっ」という音がするのか気になるところだが、元々虫が入っていたような所に口をつけて吹く勇気は私にはないため、真偽は不明である。
イスノキは、この虫こぶが最大の特徴であるため、虫こぶの無いものは熟練の庭師でも見分けが付きにくい。
よく、クロガネモチなどと間違えられるようである。
もっと個性を全面に出してくれても良いのに、と思う。
しかし、木材となるとイスノキは一皮剥ける。
イスノキの木材は重く硬く、その性質から家具や、木刀などにも使われる。
確かに、木刀などは簡単に折れてしまっては示しがつかない。
そこで、イスノキの硬さは重要なのだ。
適度に重さがあるというのは、振り回すのにも丁度いい。
軽い木刀だと少し不安が残る。
この事から、イスノキは木刀にするのにはとても良いのだ。
特徴が無いなどとバカにしてはいけなかった。
とても重要な役割を果たしているではないか。
イスノキは、この世に無駄な樹木など1本もないということを教えてくれたのだった。
fuuka
道を歩いていると、たまにキャンディのような、甘い香りが突然漂ってくることがある。
近くにお菓子屋さんがある訳でもなく、カフェがある訳でもない。
そんな時は、足を止め、辺りを見渡してみよう。
足元や頭上にもしハート型の葉を見つけたら、その葉から香りが漂っているので間違いない。
カツラの木の葉である。
カツラは、ハナズオウ編で少し名前を出したが、ハート型の葉をつける樹木のひとつだ。
このカツラの葉が乾燥したら、とても甘いいい香りがする。
私はこの香りが大好きで、似たような香りのする香水も持っている。
今でも売っているのかは分からないが、ボディファンタジーのコットンキャンディーの香りがカツラの香りにとても近い。
とはいえ私は普段、そんなに香水を使うタイプでは無いため、たまに部屋でシュッとやって楽しむ程度にしている。
私が付けるには、甘すぎる香りなのだ。
こういうのは、背が小さくて、なんだかフワフワした、天使のような女の子がつけるものだ。
そういう訳で、娘がもう少し大きくなったら、娘にあげようかと思っている。
さてカツラの話に戻るが、カツラは樹形がとても美しいため、近年庭木に使われることが多い。
小洒落たエクステリアの雑誌などを開くと、ほぼ必ずと言っていいほどカツラをシンボルツリーにしたお宅が1件はある。
葉の形が可愛い上、良い香りがし、樹形も美しい。あと、病害虫にも強い。
ひとつ難点があるとすれば、落葉樹であるため掃除が大変ということだろうか。
しかしそれが苦にならなければ、庭木として大変優秀である。
カツラは寿命が1000年を越すものもあり、とても長いのだが、種で繁殖する力が弱い。
そのため根元に萌芽を出し、それを伸ばすことによって主幹を更新していく。
これで、現在の主幹が枯れてしまったとしても、根元にある別の枝が大きく成長すれば、自身の生存は約束されるという訳だ。
つまり、ご家庭のカツラも根元から萌芽しやすい。
切ってしまいたいところだが、カツラは自然樹形こそ美しい樹木であるため、何も考えずただ切ってしまうとよろしくない。
プロに任せるべきであろう。
カツラの剪定にお困りの方は、ぜひ大里造園に連絡していただきたい。
fuuka
娘の保育園の送り迎えをしている道中、ヤエザクラが咲いているのを見つけた。
毎日通る道なのに何故今頃見つけたのかと言うと、写真のように、雑草の蔓が被さっているので見つけにくくなっており、ひっそりと咲いていたからである。
ヤエザクラというのは、「ヤエザクラ」という品種がある訳ではなく、八重に咲くサクラのことを総称してそう呼ぶ。
その始まりは、オオシマザクラやヤマザクラ等の雑種から誕生したようである。
八重咲きについて詳しいことは、このブログの番外編①を参照にしていただきたい。
ヤエザクラにも種類が沢山あるが、中でも珍しいものを紹介する。
「御衣黄(ギョイコウ)」という品種のヤエザクラがあるのだが、これは花弁が緑色なのである。花が緑色というのは、なかなかに珍しいのではなかろうか。
緑色の正体はもちろん葉緑素だ。ギョイコウの花弁の裏側には、なんと気孔もある。
これでは、花ではなくほぼ葉じゃあないか。
しかし、植物が咲かせる花の花弁は、元々葉から派生したものであるため、花=葉と言っても間違ってはいないのである。
ギョイコウは、花=葉であると言うことを分かりやすく我々に教えてくれているのだ。
ソメイヨシノが終わって、なんだか寂しいなぁ…と思っているところにヤエザクラが咲き始めるのは、自然界の粋な計らいだろうか。
春は美しい花たちが咲き乱れ、新年度を応援してくれる。
例えばアメリカ等であれば、新学期は9月であるため、サクラ等咲くはずも無い。
日本に生まれて良かったと、改めて感じるのだった。
fuuka
料理が好きな方は、ローリエという葉をご存知だろう。
ローリエとは、ゲッケイジュの葉を乾燥させたものである。
その良い香りは、樹木の近くに寄っただけでは感じにくいが、葉をちぎって嗅いでみると、あ、ローリエだ。とよく分かるであろう。
ゲッケイジュといえば、枝を編んで冠状にした、月桂冠というものがある。
ギリシャ神話に出てくるような神様だか偉そうな人が、頭に葉のついた冠を被っていたなら大体この月桂冠である。
勝利の栄光として贈られるものである為、オリンピック等で目にすることもあるだろう。
ゲッケイジュというものは、香りが強い上、クスノキ科であるため虫など寄ってこなさそうだが、とても病害虫が付きやすい。
特によく見かけるのは、すす病やカイガラムシだ。
すす病というのは、虫のフンとか、成虫が幼虫に与えるために分泌する甘いミツとかにカビが繁殖し、葉にすすがついたように見える病気のことである。
つまり、虫が付きやすい樹木には、すす病もよく見られるということだ。
料理に使うものは、もちろん細心の注意を払って栽培されたものだと思うが、口に入るものにすすが付いていれば、洗い落としたとしても多少嫌な気分になるものである。
そのため、その辺に生えているゲッケイジュの葉を使う時は、葉が黒ずんでいないか確認した方が安心だろう。
ゲッケイジュにはローリエという別名の他、ベイリーフとも言う。
ベイリーフと言えばポケモン第2世代目の御三家が進化したものだが、あのポケモンのモチーフはゲッケイジュから来ているものだということが分かる。
ポケモン図鑑にも、「くびまわりのつぼみからスパイシーなかおりをだし、かいだひとをげんきにさせる」と書いてあることからも、間違い無さそうだ。
大人気ゲームの割と早い段階からモチーフにされたこのゲッケイジュ、ぜひ積極的に料理に使ってみてはいかがだろう。
fuuka
私は、ハゼノキにとても弱い。
ウルシ科であるハゼノキを切り、その切り粉が肌に触れようものなら、次の日から赤いぶつぶつと、地獄のような痒みが約1ヶ月は続くのだ。
地獄というからには本当に地獄で、寝る前や風呂上がり、日中など、体温が上がる要因が揃った瞬間、痒みでのたうち回る。
被れた箇所をハサミで切り取ってしまおうかと思うほどだ。
だから極力ハゼノキには触れたくないのだが、奴らは実生でよく増える。
その上、道の端やコンクリートの壁の隙間など、陽の当たるところならどこにでも生えるため、よく撤去を頼まれる。
撤去の時は、いつもの手袋の下に更にゴム手袋をはめ、服の袖を手袋の中へ入れ込み、首元へタオルを巻き、完全防備で臨まなければならない。
これだけの手間でその後1ヶ月を平穏に過ごせるならば、安いものだ。
ハゼノキは、素人が安易に手を出して良いものではない。
ハゼノキでもこんなに被れるのだから、ウルシではもっと被れるに違いない。
これ以上の痒みなど、自殺した方がマシなのでは?という考えが浮かんでしまいそうだ。
幸いまだウルシを切ったことはないため定かではないが、できれば一生手をかけずに済ませたいものである。
さて、そんなハゼノキでもいい所はある。
まず、紅葉がとても美しいことだ。
ウルシ科の樹木は、秋になるとその葉を真っ赤に染める。
紅葉する樹木というのは他にも沢山あるが、大体赤にオレンジや黄などが混ざる。
そのグラデーションも美しいのだが、ハゼノキの葉は赤1色である。単色というのも、実に風情があるものだ。
次に、実から蝋(ロウ)が取れることである。
江戸時代などはロウソクが高級品だった為、ハゼノキもそれはそれは重宝されたものであろう。
外灯などもなく、夜に出歩くことが難しかった人々の、夜更かしのためには欠かせない存在なのである。
しかし、現代には電気がある。ロウソクなどはケーキの飾りとか、葬式くらいしか使い道がない。
ハゼノキの役目は、紅葉が癒しになる事以外は、もうほぼ終わってしまったのかもしれない。
せめて被れることさえ無ければなぁ…と私は今日もポツポツと赤くなった腕を掻きむしりながら思うのである。
fuuka