今の時期は、ちょうど新芽の芽吹きが始まる頃である。
どの樹木も、小さな葉を出し始めている。
特にイチョウの新芽などは、あの独特な形の葉がそのまま小さく出てきており、とても可愛らしい。
イチョウにはオスメスがあり、メスの方にはあのギンナンが採れる実がなる。
私は居酒屋などでギンナンがあればほぼ必ず注文するのだが、あのホクホク感は本当に病みつきになる。
塩をパラッと振りかけ、焼酎と一緒に頂くのが好きだ。
私が大学生のころ、芋焼酎にハマり、よく飲んでいた。
我ながらジジくさい大学生であるが、芋焼酎のあの独特の匂いが子供の頃から好きだったのだ。
私がアルバイトをしていた居酒屋にも、冬になるとギンナンが入荷されたため、シフト外の日にもよく立ち寄り、芋焼酎とギンナンを食べに行っていた。
娘が生まれてから酒など飲む機会はめっきり減ったため、なぜあのころ芋焼酎があんなに好きだったのか分からない。
今は焼酎より、カルーアミルクとかファジーネーブルとか、甘いお酒が大好きだ。
芋焼酎も独特な匂いだが、イチョウの実もなかなかに酷い臭いがする。
ギンナンはほぼ無臭であるため知らない人は知らないのだが、ギンナンの周りの果肉が酷く臭うのである。
イチョウはよく街路樹として植えられているが、オスなら良い。
これがメスだった場合、最悪だ。
もし落ちている実を踏んで、その後車などの密室に入ったりしようものなら、最早テロである。
犬のウンコを踏んだのではというような強烈な臭いが充満し、しばしドヨーンとした空気に包まれる。
楽しいドライブが、そんな残念なことになっては困る。
イチョウのオスメスは実がなってみないと見分けがつきにくいものであるが、できるだけ街路樹には、オスのイチョウを植えて欲しいものだ。
そんなイチョウだが、オスメス共に秋の黄葉は見事なものである。
道路脇が黄色く染まる様子を見ると、あ〜、秋だなぁ…となんだか寂しくなってくる。
秋になると少し寂しく感じるのは何故だろう。
私は秋が1番好きな季節だが、こういう感傷に浸りたくなるのも好きな理由のひとつである。
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道路脇等に、背の高いヤシの木が生えているのを見つけたら、大概はこのワシントンヤシである。
ヤシの木といえば、ヤシの実が生り、ココナッツジュースが飲めるアレを想像するであろうが、アレはココヤシという、ワシントンヤシ別種のヤシである。
私が子どもの頃、ヤシの実というのは憧れの存在だった。あの実を採って、ストローを刺してジュースを飲んでみたかった。
きっととても甘い、フルーティーな味がするのだろう。
ココヤシは日本では全く見かけないが、ワシントンヤシならあったので、私はあれにヤシの実が実るのだろうとずっと勘違いしていた。
大人になってからヤシの実にストローを刺した、まさしくココナッツジュースを飲んでみたが、思ったほど甘いわけでもなく、少し風味のついた水といった感じだった。
子どもの頃のワクワクは、この1杯とともに消えたのだった。
さて、ワシントンヤシの話に戻るが、「ワシントン」というのは、アメリカの初代大統領の名前から来ているようである。
その全長は15mから20mにもなり、かなりの高さになる。
高さがあるということは、手入れもそれなりに骨の折れる作業になる。
大里造園では、巨大クレーン車でゴンドラを吊ってもらい、それに乗って剪定をするという方法をとっている。
これがまあほんとに恐ろしい。
風など吹こうものなら、安全帯をしていても頼りなく、作業の手を止め、手すりを掴み、子鹿のようにぶるぶる震える他ない。
もし落下でもすれば、骨が折れるどころでは済まない。
私の夫などは、観覧車などの高い所が苦手なのだが、このゴンドラには涼しい顔をして乗っている。
いや、内心怯えているのかもしれないが、仕事ならばと割り切っているようだ。
これに乗れて、観覧車に乗れないというのは、どういった心理なのだろうか。
どちらも必ず安全であるとはいえないが、観覧車の方がまだマシに思える。
と、このように、背の高い樹木なども剪定できるので、ご家庭で手の届かない樹木の剪定をしたい時は、ぜひ大里造園にご依頼願いたい。
さて、前回の続きの話である。
ゼミの先生の元に葉を持っていった私は、「この葉からDNAを取り出して、樹種を同定することはできますか?」
と尋ねた。
すると先生は、「少しお金がかかっちゃいますが、できますよ。それを卒業研究にするなら、ゼミ費から出せるよ」
と私の言いたかったことを先回りして提案してくださったのだった。
そういうことなら有難くゼミ費を使わせて頂くことにして、私の研究テーマは「謎の樹木の正体をDNAから暴く」に決まった。
元々アメリカガシワを知っている人からすると謎でもなんでもないのだが、当時の私には未知の樹木に見えた。
このように、知りたいという好奇心が私を掴んで離さなくなってしまったのだった。
さて、DNAの取り出し方だが、工程が複雑で記憶が曖昧なため、覚えている範囲で書いていく。
まず葉をすり鉢で粉々に砕く。これは細かければ細かいほど良い。
砕いた葉を何やら透明な液体に入れ攪拌し、網目の小さなメッシュでこす。
こしたらまた攪拌機に入れる。これをもう一度繰り返したような気がする。
もうただの透明な液体にしか見えないが、本当にDNAが取れるのだろうか?
そこへ、エタノール(だったと思う)を液体の2倍くらいの量入れ、しばらく待つ。
すると、何やら白いフワフワしたものが浮かび上がってきたではないか。
これがDNAである。
こんなモヤのようなものに、生命の設計図が詰まっているのかと思うと神秘を感じた。
その後、北海道にある科学研究所に取り出したDNAを送った。
ここで少しお金がかかってしまうのだ。確か5000円程だったと思う。
しばらく待つと、塩基配列がびっしり並んだメールが送られてきた。
どのようにしてあのモヤを塩基配列に変換したのかは不明だが、たった4つのアルファベットの組み合わせ次第でどの生物か区別できるだなんて、本当に不思議だ。
この塩基配列を、インターネット上にあるデータバンクに入力した。
すると、ズラっと英語が並び、よく見ると何かの学名のようであった。
なるほど、データバンクには学名で登録されているのか。
納得した私は、1番上に表示されている「Quercus palustris」という文字をコピーし、Googleの検索欄にペーストした。
……そこには、私が見た樹木そのものの写真が載っていた。
それは、ピンオーク、和名アメリカガシワという名前だと分かった時、とんでもない達成感に包まれた。やはりブナ科というのは間違いではなかった。
紅葉するということも知り、その時の美しさは尋常でない。
好奇心が満たされるというのは、こういうことか。
後にも先にも、これ程スッキリとした事はなかったと思う。
結果、少しの悔しさと好奇心からDNAを取り出すまでに至った私の研究は、ゼミ生から面白いとして選ばれ、発表会の大トリを飾った。
長々と語ってしまったが、それ程までに思い出のある樹木なので許してほしい。
私は今でもアメリカガシワが大好きだ。
しかしあの発表会直後、この短大1番の古株である先生から、「あのピンオークは40年くらい前に、自分が余っているものを適当に植えたものだ」と聞き、この人に尋ねれば一発だったのでは……適当に……あの苦労は一体……
と、真っ白に燃え尽きた灰になったのである。
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アメリカガシワという、とてもユニークな形をした葉を持つ樹木がある。主にはピンオークという名で呼ばれ、オークというからにはブナ科コナラ属の植物である。
ピンの部分は私の勝手な想像だが、葉先の形がどことなくピンヒールに似ているからではないかと思った。完全なるこじつけである。
私とアメリカガシワの出会いは、短大2年生の初夏頃であった。
どこの大学でも、大抵卒業する前には卒業論文とか、卒業研究などを発表する場がある事だろう。
私が通っていた短大も例外でなく、ゼミごとの卒業研究発表会というものがあった。
私たちのゼミは樹木医学に特化しており、人数が4人と非常に少なく、5つあるゼミの中でも最小人数だった。
我々のゼミではなにを発表しようかと4人で話し合い、その結果、すす病の研究をしようということになった。
キャンパスを出てすぐ目の前にある街路樹が、すす病にかかっていた為である。
しかしそれだけでは味気がないし、聞き手が興味を持ちにくいだろうと考えた私たちは、各々が好きなテーマで研究したものを持ち寄り、1番面白かったものを追加で発表することにした。
すす病の研究は順調に進んでいたが、自分だけのテーマがなかなか思い浮かばない。
私が好きなものは樹木全般であるが、樹木の何を研究テーマとするかで悩んでいた。
私は、何かヒントを得るため、山の中にある別館のキャンパス敷地内を歩いてみた。
樹木の1年間の成長サイクルでも研究してみようか。それとも、すす病以外の病気を調べてみようか。
いろいろ考えたが、なかなかピンとくるものがない。どうしたものか。
ふと目線を上にやると、実に様々な樹木が新緑を輝かせている。それを眺めていたのだが、瞬間、とても珍しい形をした葉が目に飛び込んできた。
このような形の葉を持った樹木を、私は知らなかった。かなりの高木であるにも関わらず、今までの学生生活でとくに注意深く見ることも無く、気付けなかった。私は悔しかった。
そのため、その場でスマホを開き、この樹木のことを調べようと思った。
しかし、名前が分からないので調べようがない。足元に丸いどんぐりが落ちているので、ブナ科あたりであることは間違いないのだ。
しかし、ブナ科で画像検索しても同じ形の葉は見つからなかった。
てんで見当がつかず途方に暮れた私は、DNA鑑定ができたらなぁ…などと都合の良いことを考えていたが、そういえばゼミの先生が、カビからDNAを取り出し、菌の種類を特定していたことを思い出した。
…これは、立派な研究テーマになるかもしれない。
そう思った私は、その樹木から葉を1枚だけ頂き、回れ右してゼミの先生の元へと走ったのだった。
【続く】
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本日、4月8日は花祭りの日である。
お釈迦様の誕生を祝う、言わば仏教のクリスマスであるが、クリスマス程の盛り上がりを見せるわけでもなくひっそりとその日は過ぎ去る。
花祭りと言えば甘茶だが、私は子どもの頃この甘茶が大好きだった。今でも甘茶はたまに飲んでいる。
私が通っていた幼稚園はお寺に併設されており、子ども達は皆、強制仏教徒だった。
そのため、お釈迦様の誕生日といえばそれはもう盛り上がったものだ。
20cm程の小さいお釈迦様の銅像を花で飾り付け、好物である甘茶をみんなで順番に頭からかけていく。
私は、頭から甘茶をかけてもらえるお釈迦様が、心底羨ましかった。
私も浴びるほどの甘茶を飲んでみたいものだ。
そう思った私は、麦茶に砂糖を混ぜて飲んでみた。
しかし、味が全然違う。甘茶の、あの口の中に残る痺れるような甘さは、どうやって出すのだろう。
私は、幼稚園の先生に甘茶の作り方を聞いてみた。
すると先生は、アマチャという樹木があり、それの葉を発酵、乾燥させてから飲むのだと教えてくれた。
それならば、アマチャの木を買ってもらおうと考え、早速父に強請った。
父はカネノナルキ同様、すぐにアマチャを買ってきてくれたので、すんなり手に入った。
アマチャを始めて見た私は、とても驚いた。それは、どう見てもアジサイだったからである。
アマチャとは、アジサイの事だったのだ。
父に、それなら元々庭にあったアジサイでも甘茶が作れるんじゃないかと聞いてみたが、それではダメだという。
アマチャという品種があるのだそうだ。
納得した私は早速葉を何枚かちぎり、祖母に飲めるようにしてくれと渡した。
幼稚園児の私には、発酵という言葉が分からなかったため、祖母に任せることにしたのだ。
1週間後、祖母が出来上がった甘茶を持ってきた。
私はワクワクしながらそれを手に取り、一口飲んだ。
…苦い。甘くない。
確かに風味は甘茶なのだが、甘くないのである。甘くない甘茶など、甘茶ではない。
きっと祖母が作り方を間違えたんじゃないかと思い、作り直して貰った。
祖母も甘くならないことを疑問に思ったらしく、また作り直した。
しかし、それもまた苦かった。
私は家で甘茶を飲むのを諦めるしか無かった。
大人になった今思えば、きっと新芽じゃなかったから甘くならなかったんじゃないかと思う。
今はパックの甘茶を購入し、飲んでいる。大人になった私は、子どもの頃の願望を叶えたのだ。
あの頃の私に、パックの甘茶があるということを教えてあげたい。
幼稚園で出されていた甘茶も、実はパックの甘茶だったと知ったのは、小学校に上がってからの話である。
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カネノナルキは実に沢山の名前がある。
正式にはクラッスラ・ポルツラケアというらしいが、横文字で長い上に、「金の成る木」で充分通用するため別に覚える必要はない。
園芸名としてはカゲツと呼ばれる。
こちらは漢字で「花月」と書き、実に可愛らしい。こちらは覚えていても損は無い。
他に和名でフチベニベンケイとか、英語でマネーツリーとか、ダラープラントとか呼ばれているらしいが、葉の形が硬貨に似ていることからカネノナルキ、こちらの方が覚えやすいに違いないであろう。
私は、このカネノナルキには少し渋い思い出がある。
私は小学1年生のころから、祖母に連れられ、祖母の友人が先生をやっている書道教室に通っていた。
先生は観葉植物が好きだったようで、いろんな植物が部屋に飾られていた。
その中に、丸くてつやつやした葉が可愛らしい植物があった。
私は、祖母にあの植物は何という名前かを尋ねると、あれはカネノナルキだと教えてくれた。
なんと、あれにはお金が実るのか!良いことを聞いた、これで私はお小遣いに困らない。
本気でそう思った私は、家に帰り、父にカネノナルキを買ってくれとせがんだ。
私の真意など知らない父は、娘が植物に興味を示したのが嬉しかったらしく、小さなカネノナルキを買ってくれた。
さあこれで私は億万長者だ。
ところで、紙幣と硬貨、どちらが実るのだろうか。紙のお金というものは、ニセモノが出回らないように番号が振ってあったはずだ。
たしか、硬貨にはそんな番号は書いていなかった。つまり、百円玉や五百円玉などの硬貨が実るのか!
私はとてもワクワクした。百円玉といえば小学生には大金である。
しかし、待てど暮らせどお金は実らない。
栄養が足りないのかな?と思い父に聞きにいき、そこで真実(名前の由来)を知った。
お金が実るものではなかったのか…
私は自分が情けなくなり、肩を落としながらカネノナルキに目をやった。
ふと、それがとても美味しそうに見えた。
葉の質感は肉厚で、アロエを思い出させる。
アロエヨーグルトが好きだった私は、あの葉もシャキッとしていてほんのり甘いんじゃないかと思い、少し齧ってみた。
その瞬間、舌の上にものすごい渋みが走った。渋いし、口の中がキシキシする。これがえぐみと言うやつか。
私は慌てて口をゆすいだ。
これが私の渋い思い出である。
そして先日、少し目を離した隙に1歳半の娘が玄関先に置いてあるカネノナルキの葉をかじっていた。
娘は顔を歪ませ、大量のヨダレと共にそれを吐き出した。
彼女もまた、母と同じ、渋い過ちを犯したのである。
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